いわゆる禅問答が公案です。雲水達は公案をいただき悟りを模索するそうです。
最近なにげなく石を削ってますが
なにげなくという感じなので、答えに向かって削ってる訳ではなく
それが大変苦しくも、楽しくもあるのです。
たとえば卵のかたちに削ろうと思えばそこにロールモデルが存在する訳で
イメージに近づけていけば良い。
でもそれが無いということは石と向き合いながら
なんとなく形を探していくので
時間がものすごくかかるし、頭もつかいます。
このような作業をレヴィストロースはブリコラージュと呼び
現代には芸術という分野にしか残ってないのでは?と
いわれる野生の思考なのです。
これがまた禅とかぶさって面白い。
なんでも溜めに溜めると溢れ出します。
その溢れるものは何なのか
ひとつ見てみたいものです。
ロールモデルを追っていてはロールモデルにしか近づけないのです。
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by locutan
| 2011-11-03 16:00
| 石
そのものをつくることは
そのものをつくるにあらず
そのものをつくっているという行為は勿論のこと
直接関係なく見えるところが大事なのでしょうね。
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by locutan
| 2011-11-01 09:45
| 雑記
禅。と聞くと宗教、座禅、悟りなど思い浮かぶが、
なんでもその安易な先入観が邪魔をしてしまい。
先入観で止まってしまう事が多いのでは。。
最近、禅って人にやさしいエコなものなのかなと思ってきました。
例えば家の洗濯機。洗うもの無いのに一日中回します?
無駄では無いでしょうか?
それを禅はこころに例えます。
考えなくとも良い事をずっと考えてるのは精神の浪費じゃないか?
まぁいらん時は無になって少しは休みましょう。
あぁ、エコだねぇと思いました。
上手く使えれば凄く豊かな日々を送れそうですね。
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by locutan
| 2011-10-30 10:04
| 思想
仕事上がりに少しずつ石を形にしてゆきます。
同じマイナスの仕事でも私にとっては石の方がシビアである。
手を入れたら最期、修正の効かない行為に
戸惑いは拭えまい。
普段エスキースを飛ばしてポンポン作っていた陶芸に疑問を感じてきた。
なすがまま
赴くまま
では、にも出来ない儚さが石の魅力なのだろう。
素材そのものを見ているだけでこのままの姿でいいのではないか?
と思ってしまうのだ。
緻密な計算が必要では。。。。。。。。。
と思ってしまうのだ。
六反征吾
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by locutan
| 2011-10-21 21:37
| 石
ご無沙汰してます!
ちょうど半年前くらいだろうか?文化人類学者のレヴィストロースと言う人をはじめて知り、
興味を持ち本屋で少し立ち読みしたのではあるが
難しそうだなぁと2.3回行っては買わず、いっては買わずを繰り返してました。
でも他の本を読んでいると何かとこの人の名前が出てくるので
ようやく昨日購入。
これがやはり難しく
難しいのに反比例する程面白い!
今まで僕のなかで謎だったもの、理解しきれなかったものが崩れはじめた!
これは自分にとってかなりのいい体験だと思います。
出会いに感謝。
今後が楽しみです。
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by locutan
| 2011-10-12 07:35
| 雑記